日豊本線貨物支線(苅田港線)廃線跡
今日は日豊本線の貨物支線、苅田港線(以下、苅田港線)の廃線跡について取り上げたいと思います。苅田港線は日豊本線小波瀬西工大前駅から分岐して苅田港へ向かうルートで、1944年に開通し、2016年に廃線となりました。
・場所
この地図は1970年代の地図です。地図の左隅を通っているのが日豊本線で、小波瀬西工大前から右上方向に分岐しているのが苅田港線です。苅田港線は北東方向に真っすぐ延びて苅田町の埠頭に向かい、苅田港の麻生セメント苅田工場・宇部興産苅田セメント工場、九州電力苅田発電所、太平洋セメント苅田SSなどの各工場の専用線に分岐していきます。この路線は、日本セメント香春工場で採掘した石灰石、その他田川地方の石炭輸送を目的として営業されていました。
石灰石や石炭など、重化学産業の大量輸送のためとはいえ、貨物支線が国道10号線を横切るというのは、かなり珍しいですね。本数が少ないとはいえ、踏切で一旦停止が必要なので、国道の渋滞を招いていたかもしれませんね。
・沿革
1944年:行橋~苅田港開業
1949年:小波瀬~苅田港開業(起点駅を行橋→小波瀬に変更)
1987年:国鉄→JR貨物に事業主変更
1989年:日本セメント香春工場→勾金→苅田港の貨物輸送廃止
2005年:事実上の貨物廃止(営業廃止も、踏切、信号等は残存)
2016年:苅田港内での専用線の営業廃止で、苅田港線全線廃止
・廃線跡
この写真は日豊本線小波瀬西工大前駅付近です。苅田港線の名残か、レールのポイントが見られます。
下の写真はわかりにくいですが、日豊本線と苅田港線が分岐したと思われる場所です。架線のある日豊本線は左から正面奥に向かって延びていますが、その手前で右に曲がる盛り土の跡が見られます。
日豊本線から分岐すると、北東方向に真っすぐ車道が延びており、それと並行して廃線跡の盛り土が続いています。
下の写真は踏切跡と思われる場所です。現在は舗装されて新しい車道になっていますが、手前に踏切が存在していたころの路石のようなものが残っています。
廃線跡の草むらをさらに進むと、また踏切跡が見えました。こちらはレールを残しており、ハッキリと確認することができます。
さらに道を進むと、国道10号線と交差します。下の写真が国道10号線を横切る踏切跡です。主要な国道を横切るとは、随分と豪快な路線ですね。本数が少ないとはいえ、踏切前の一時停止義務があるので、渋滞になりやすそうです。
国道10号線を横切ると住宅地に割って入っていきます。廃線後、多くは車道かされたり宅地化されていますが、民家と民家の間に所々廃線跡が残っていました。下の写真は、民家の間のスペースに残っていた踏切跡です。この辺りは1970年代後半までは田畑が広がる地域でしたが、80年代以降宅地化が進み、それ以降は民家の脇を貨物列車が通っていたと思われます。
下の写真のように、住宅地の中で、廃線跡の上からアスファルトで固めて舗装した道も見られました。
住宅地を過ぎると川を跨ぎますが、橋は取り外されており、遺構を見ることができませんでした。
住宅地を抜けると、港に向かってまっすぐ進みます。工場や倉庫が建ち並ぶ中で、廃線跡の茂みがちょうど真っすぐに残っています。
茂みが深く、倉庫などの私有地があるたけ、廃線の上を通ることはできませんでしたが、迂回して苅田港駅付近に来ました。現在はほぼ完全に撤去されており、ほとんど遺構を確認することができませんでした。
ただ、現在もなお砕砂や石炭などの積み場となっています。写真の奥に九州電力苅田火力発電所、宇部興産苅田セメント工場、麻生セメント苅田工場、太平洋セメント苅田SSなどが並んでおり、現在も稼働を続けています。
以上、国鉄日豊本線貨物支線(苅田港線)の廃線跡を辿ってみました。2000年代まで残っていたためレールや踏切が残っている箇所が多く、ハッキリと確認することができました。
路線が貨物営業を行っていた時代は、田川地方で積まれた石灰や石炭の貨車が行き交っていたことを考えると、哀愁が感じられますね。