三井セメント専用線(福岡県金田~見立)廃線跡 散策
今日は、三井セメント専用線(金見鉄道)廃線跡を散策しました。金見鉄道は三井セメントの専用線で、三井セメント田川工場(見立駅)と金田駅(現平成筑豊鉄道伊田線)を結んでおり、金田と見立から「金見鉄道」と呼ばれていました。
三井セメントは、田川市の関の山鉱山から石灰石を採掘し、鉱山に隣接する田川工場でセメント・クリンカを生産し、金見鉄道で積み出していました。積み出された貨物は、見立→金田→直方→折尾→若松or門司港へと運ばれ、港から船で出荷されていました。この路線は1964年に開通しましたが、三井セメント田川工場の閉鎖に伴い、2004年に全線廃線となりました。
九州の筑豊地方は廃線が非常に多いですが、その大半が1970年以前に廃線となったため、あまり遺構が残っているものがありませんが、金見鉄道は2004年廃線のため比較的多くの廃線跡を見つけることができます。
・廃線跡
下の地図は、金見鉄道が存在したころ(1980年代)のものです。地図の上部に金田駅があり、赤線の落書きの方向に延びる路線が金見鉄道です。平成筑豊鉄道金田駅から南西方向に分岐して伸びていき、田畑を割っていくように進んだのちに山岳部に入り、見立の三井セメント田川工場(赤い丸印付近)に着きます。
始発駅の金田駅付近の廃線跡は、完全に舗装されており、車道となっています。
車道をまっすぐ進み、中元寺川付近(下の地図の赤丸箇所)に来ました。
下の左の写真が、盛り土の跡です。廃線跡は、金田駅から続く車道から西に外れて盛り土跡の丘を進んで、中元寺川に向かっていきます。下の右の写真が、中元寺川を跨ぐ橋梁の跡です。手前の道路にはレールが残っています。
中元寺川を跨ぐ橋梁を横から見たものが下の写真です。錆びて茶色くなっていますが、開通が1964年で筑豊地方の鉄道路線の中では比較的若いので、まだ十分使えそうな気がします。
中元寺川を越えると田園地帯が広がっており、廃線跡は舗装されて遊歩道となっています。
遊歩道が数キロにわたって続きますが、しばらくすると盛り土跡の丘となり、山に向かって少しずつ登っていきます。盛り土跡のほとんどが残っており、下のような橋梁跡も見られます。
路線は田園地帯を抜けると山間部に入っていきますが、山間部にはほとんど立ち入ることができなかったので、JR後藤寺線船尾駅から迂回しました。
上の地図の赤丸付近に跨線橋がありました。現在は自動車道となっていますが、線路の上を跨いでいた名残で、橋に「金見鉄道」と表記されています。
金見鉄道の終着駅(赤丸付近)に来ました。現在この場所は道の駅となっています。
道の駅のすぐ近くに三井セメント田川工場跡があります。現在は一部麻生セメントの敷地となっているようですが、三井セメントの解散以降、実質廃墟と化している状況です。