JR九州 日田彦山線 乗車記(城野~田川後藤寺)
日田彦山線 乗車記
城野から分岐して田川後藤寺を経由して添田、夜明方面に向かう日田彦山線。1915年に開業以来、炭鉱や鉱山の貨物で繁栄した歴史ある路線です。今回は、城野から田川後藤寺まで乗車しました。
城野駅
日豊本線との分岐駅。小倉発のキハ47が到着。
3面5線の大きな分岐駅ですが、意外にも特急は停車せず、普通のみの停車絵駅となっています。
日田彦山線はもともと石田から東に進み、東小倉を終着駅としており、城野を通るようになったのは1956年です。1915年に日田彦山線が開通したことを考えると、歴史的には新しいですね。
石田~石原町
城野を過ぎるとしばらくは北九州市の住宅街を通ります。しかし、志井公園を過ぎると徐々に山に入っていきます。画面中央の鋭角の山は貫山です。
呼野
石原町を過ぎると、山岳地帯に入っていきます。そして呼野駅に近づくと、向かって左手に石灰石の東谷鉱山が見えます。山が削り取られて山肌が石灰石で白くなっているのが見えます。
以前は石原町から東谷鉱山方面に分岐し、石灰石を黒崎方面に運び出す路線がありましたが、現在はトラック輸送に代替され、町も駅も閑散としています。
採銅所
呼野を過ぎると、山はいっそう深くなり、金辺トンネルに差し掛かります。金辺トンネルは日田彦山線の祖先に当たる金辺鉄道が掘削工事に失敗して経営破たんした歴史があります。そんな難所を越えると、採銅所駅に着きます。
「採銅所」が駅名とは、あまりにもシュールすぎるなと、初めて駅名を見たときは思いましたが、地図を見たところ、付近の地名も「採銅所」であり、駅ができる前からそう呼ばれていたそうです。
地元の図書館で郷土史を調べてみたところ、奈良時代から銅の発掘・開発が進められていたそうです。そして、この採銅所で銅を採掘して宝鏡を鋳造して宇佐神宮に奉納していたそうです。ただ、銅の露天掘りは古代に枯渇した説が濃厚です。
香春~一本松
採銅所を過ぎると、山間部を抜けて見通しの良い盆地に差し掛かります。香春駅付近から向かって右には、香春岳が見えます。香春岳は3つのこぶがあり、それぞれ一ノ岳・二ノ岳・三ノ岳と呼ばれています。右写真の左部分、左写真の中央部に移っているのが一ノ岳です。本来は高いこぶ状の山でしたが、石灰石の鉱山のため、長年の採掘で削り取られて半分になっています。
石灰石鉱山である一ノ岳で操業していたのは、日本セメント(のちの浅野セメント→現太平洋セメント)です。現在は廃業となり、稼働していませんが、工場跡を見ることができます。(一部が太平洋セメントのセメントSS)
田川伊田
一本松を過ぎると、平成筑豊鉄道田川線と合流して田川伊田に着きます。田川伊田は、三井伊田炭鉱など、巨大な炭鉱が複数あり、石炭積み出しの要所となっていました。駅付近には炭鉱後の石炭記念公園があり、伊田炭鉱の櫓と2本の巨大な煙突が見えます。
田川後藤寺
田川伊田を過ぎると間もなく田川後藤寺に到着します。田川後藤寺も田川伊田と同様に石炭積み出しの主要な駅であり、その名残で現在もなお広い敷地を持つ駅となっています。
実はもともと田川伊田は伊田駅、田川後藤寺は後藤寺駅という名称でした。どちらかを田川駅に改称する予定でしたが、ともに田川の中核をなす駅であったため決着がつかず、結局両駅に「田川」をくっつけて改称することで落ち着きました。
以上、城野~田川後藤寺まで乗車しました。呼野の東谷鉱山に、銅鉱山の採銅所、香春岳の石灰鉱山、田川の炭鉱など、資源に恵まれた路線ですね。素材産業の栄華に思いを馳せながら乗ることができました。